新しい時代の東京へ Reborn

プロフィールProfile

関口 太一 (せきぐち たいち)

1975年10月27日生まれ(45歳)
大阪府豊中市出身/さそり座/AB型/妻、長女、次女
趣味:料理/好きな食べ物:焼肉、たこ焼き

関口太一のこれまでの歩みを、各年代ごとに起こった重大な社会的事件と共に紹介します。

3350kg男子誕生(0歳)1975年 / ロッキード事件

政治は好きだが政治家とは縁の無い父と母の間に誕生。

小学校入学(6歳)1982年 / 中曽根内閣誕生

新しい世界に胸躍らせていました。目指すは友だち100人。

中学校入学(12歳)1988年 / リクルート事件発覚

オショク(汚職)ということを知ったのはこの頃。何故、そんなにお金が必要なんだろう?テレビに映る政治家はみんな悪い人に見えました。

桃山学院高校入学(15歳)1991年 / ソビエト連邦崩壊

この頃の私と父の会話は野球と政治。ナイターを見て文句、政治番組を見て文句。

高校3年生(17歳)1993年 / 細川内閣誕生

新聞広告を見て日本新党に寄付をした父。無縁の両者のつながりに、政治は変わると感じた17歳。

大学受験(18歳)1994年 / 小選挙区比例代表制時代へ

学校での会話は“ロック”と“ファッション”。日曜の我が家の会話は“サンプロ”(政治番組サンデープロジェクト)。

同志社大学法学部入学(19歳)1995年 / 阪神大震災地下鉄サリン事件

幕末の記憶が残る京都。司馬遼太郎を読みあさり、政治への思いをさらに強めた学生生活。

アパレル商社就職(23歳)1999年 / 石原都知事誕生

秘書から政治家ではなく、民間から政治家。まずは広い世界を感じたい。そんな思いで商社を選びました。

関西から世田谷へ(25歳)2001年 / アメリカ同時多発テロ

ベンチャー企業設立に参画するため、上京を決断。大きな看板の無い中での営業は甘くありませんでした。倒産・解散を意識しながら奔走した立ち上げ時期。この頃に経営的な“コスト意識”を叩き込まれました。

政治との出会い(26歳の春)2002年 / 小泉内閣誕生

友人の誘いで参加した民主党・枝野幸男代議士の勉強会。世田谷の議員関係者との偶然な出会いがそこにありました。

政治への道(26歳の夏)
区議選出馬の要請。政治家の扉に興奮する一方で、仕事を含めた現実と向き合い、毎晩毎晩悩みました。

決意(27歳の誕生日、秋)
27歳の誕生日。仲間を集めて出馬宣言をした新宿・居酒屋。この瞬間を忘れることはありません。

世田谷区議会選挙初当選(27歳の春)そして政治家へ―2003年

うれしさよりもプレッシャー。4,585票の重みを感じずにはいられませんでした。

役所と徹底議論(28歳の春)
お抱え運転主、第3セクター、天下り・・・。民間では考えられない役所の常識(税金の無駄使い)を徹底追及。充実した日々でした。

2004年 都議選に出馬すべきかどうか…
悩んだ数か月(28歳の秋)

たくさんの方々に相談。色々な方々にいやな思いもさせました。ただ―、僕にしかできないことがあるんだ・・・。それが決断の理由でした。

東京都議会選挙落選(29歳の夏)2005年

20,827票。自分の力だけでは到底、届かない世界。ただ、涙は止まりませんでした。捲土重来―。

浪人政治家の日々(29歳の夏~)2005年〜

多くの方々からご支援を頂きながら、そして、時にはアルバイトをしながらも政治活動を続行。

東京都議会議員選挙当選(33歳の夏)2009年

59,277票。最高位当選に、責任の重さをひしひしと感じます。身が引き締まる思いです。都議会を変える―。私の挑戦はまだまだ続きます。

東京都議会2期目に挑戦するも落選(37歳の夏)2013年

民主党政権時に対する逆風が吹き荒れる中での厳しい選挙戦でした。都議会議員として議員条例への挑戦、豊洲移転への反対、高校生留学支援の実現など、行動すべきは行動し、主張すべきは主張してまいりましたが、力及ばず・・・。都民の信任を得ることは出来ませんでした。政治活動開始以来、丸10年。一つの区切りだと感じました。

生活していく為に、民間分野で仕事に没頭(37歳の夏~)2013年~

飲食店での仕事、セキュリティー会社での仕事、NPO活動などに汗をかく日々。

都議選再出馬に向けて活動するも、党の候補者一本化要請に協力し、出馬断念を決断(41歳の夏)2017年

出馬断念の決断については、政治活動を支えて頂いていた支援者の方々に対して本当に申し訳ない気持ちしかありませんでした。

UAゼンセンに入局(41歳の秋)2017年

新たな環境に身を置き、日々、勉強。

参議院議員秘書として国会活動に集中(43歳の秋~)2019年~

コロナ禍が日本社会を襲う中、雇い止めや休業に追い込まれて日々の生活に不安を抱える方々、資金繰りや事業継続に行き詰まる経営者の方々と向き合い、霞が関省庁や自治体と議論する毎日でした。国会の最前線で悪戦苦闘する日々。