関口太一のこれまでの歩みを、各年代ごとに起こった重大な社会的事件と共に紹介します。カメラアイコン(
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| 1975 (昭和50年) |
3350kg男子誕生(0歳)/ロッキード事件『政治は好きだが政治家とは縁の無い父と母の間に誕生』 |
| 1982 (昭和57年) |
新しい世界に胸躍らせていました。目指すは友だち100人』 |
| 1988 (昭和63年) |
『オショク(汚職)ということを知ったのはこの頃。何故、そんなにお金が必要なんだろう?テレビに映る政治家はみんな悪い人に見えました。』 |
| 1991 (平成3年) |
桃山学院高校入学(15歳)/ソビエト連邦崩壊 『この頃の私と父の会話は野球と政治。ナイターを見て文句、政治番組を見て文句。』 |
| 1993 (平成5年) |
![]() 『新聞広告を見て日本新党に寄付をした父。無縁の両者のつながりに、政治は変わると感じた17歳』 |
| 1994 (平成6年) |
大学受験(18歳)/小選挙区比例代表制時代へ 『学校での会話は“ |
| 1995 (平成7年) |
同志社大学法学部入学(19歳)/阪神大震災、地下鉄サリン事件『幕末の記憶が残る京都。司馬遼太郎を読みあさり、政治への思いをさらに強めた |
| 1999 (平成11年) |
アパレル商社就職(23歳)/石原都知事誕生 『秘書から政治家ではなく、民間から政治家。まずは |
| 2001 (平成13年) |
関西から世田谷へ(25歳)/アメリカ同時多発テロ 『ベンチャー企業設立に参画するため、上京を決断。大きな看板の無い中での営業は甘くありませんでした。倒産・解散を意識しながら奔走した立ち上げ時期。この頃に経営的な“コスト意識”を叩き込まれました。』 |
| 2002 (平成14年) |
政治との出会い(26歳の春)/小泉内閣誕生 『友人の誘いで参加した民主党・枝野幸男代議士の勉強会。世田谷の議員関係者との偶然な出会いがそこにありました。』 政治への道(26歳の夏) 『区議選出馬の要請。政治家の扉に興奮する一方で、仕事を含めた現実と向き合い、毎晩毎晩悩みました。』 決意。(27歳の誕生日、秋) 『27歳の誕生日。仲間を集めて出馬宣言をした新宿・居酒屋。この瞬間を忘れることはありません。』 |
| 2003 (平成15年) |
![]() 『うれしさよりもプレッシャー。4,585票の重みを感じずにはいられませんでした。』 役所と徹底議論(28歳の春) 『お抱え運転主、第3セクター、天下り・・・。民間では考えられない役所の常識(税金の無駄使い)を徹底追及。充実した日々でした。』 悩んだ数ヶ月(28歳の秋) 『たくさんの方々に相談。色々な方々にいやな思いもさせました。ただ―、僕にしかできないことがあるんだ・・・。それが決断の理由でした。』 |
| 2004 (平成16年) |
![]() 『20,827票。自分の力だけでは到底、届かない世界。ただ、涙は止まりませんでした。捲土重来―。』 |
| 2009 (平成21年) |
『59,277票。最高位当選に、責任の重さをひしひしと感じます。身が引き締まる思いです。 都議会を変える―。私の挑戦はまだまだ続きます。』 |